敗戦後の復興に向けて

前回、書いた中に、

体力がすさまじく落ちていることがよくわかりました。

とかきましたが、結局これが命取りになった。

次の引用と真逆のことが起きた。(from http://allabout.co.jp/health/stressmanage/closeup/CU20080812A/)

体力がつくと、心のキャパが広がる

体力が不足しているとストレスを感じたときのダメージも大きく、すぐに凹んでしまいます。一方で、体力がつくと心のキャパシティが広がり、次のような良いことがあります。

1) 肉体的な疲れに強くなる。
2) 自分に自信がつき、多くのストレスをやり過ごすことができる。
3) 冷静な判断を働かせるだけの余裕を持てる。

起きたこと:体力が小さい、肉体的な疲れに弱い、自信喪失、ストレス負けしやすくなる、冷静な判断ができなくなる。
さらにそこから起きたこと:悪い判断がミスや無駄を生み、作業時間が増えてさらに疲労するという悪循環。もちろん遅くなることや質の低下について苦情がくる。そしてそれも悪循環の要素になる。

散歩をしていた時期があったが、どうも単調になってしまっていけない。チャリを買うことにしようか。最終的は数字で結果がでる競技系の運動をして自信を付ける形に持っていければベストだと思う。

http://d.hatena.ne.jp/bizmania/20080819

社会人の疲労のほとんどは精神的なものから来ています。だから、精神的な疲労を取ってやらないとイカンのです。

精神疲労は認知が絡んでいるので認知療法について学ぶことがよいかもしれない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%99%82%E6%B3%95

人間は世界のありのままを観ているのではなく、その一部を抽出し、解釈し、帰属させているなど「認知」しているのであって、その認知には必ず個人差があり、客観的な世界そのものとは異なっている。それゆえ、誤解や思い込み、拡大解釈を含んだ結果、自らに不都合な認知をしてしまい、結果として様々な嫌な気分(怒り、悲しみ、混乱、抑うつ)が生じてくると仮定している。この不都合な認知⇒気分の流れを紙などに書いて把握すること、また、それらに別の観点を見つけるべく紙に書いて修正を試みる事が認知療法の根幹である。そのために根拠を問うたり、ステレオタイプな認知を歪みと命名したりする

つまりですな、仕事のスキルとかそういうこと云々以前に「生」をささえる基礎的な部分が弱いのです。